2007年03月06日

十六日

十六日

十六日でした。
旧暦1月16日はあの世のお正月。
笑い声がきこえそうなご先祖さま、なんだか身近です。

この日にご先祖さまを供養する習慣は、ひろく沖縄世界にあるそうですが、
ここ八重山では特に盛んで、学校や仕事もお休みになっての一大行事。
ムトゥーヤー(母屋)が主体となって、お墓の前で一同そろってお正月を祝います。
荒天をおしてお墓の前で過ごした人、
遠い場所から故郷をおがんだ人、
キャンセル待ちでも飛行機がとれなかった人、
風邪をこじらせて動けなかった人・・・
さまざまな事情とともにある一日だったことでしょう。

あいにくの雨でお墓はのぞいただけでしたが、
仏壇には昨日から腕まくりでこしらえたという豪華なお供え料理。
ご先祖さまの前で手を合わせ、双方の幸福を祈りました。
儀式(?)をとりしきるのは、ばあちゃん。
語りかけるのに意味不明な呪文はなく、まったくの話し言葉。
お墓にいる人の名前をひとりひとり呼び上げてお線香をあげます。
(ばあちゃんの頭の中にはちゃんと全員の名前が入っています)
ガビと呼ばれるあの世のお金(ウチカビ、ガビジン)を燃やし、お供えに箸をつけました。
僕も三本線香をあげ、二満ヴァン(と聞こえた)のお金をお供えさせてもらいました。

十六日

お祈りの後、来月一年生になるレイから「スマオにも苗字ある?」ときかれ、苦笑。
幼い心もそういうモードになったのでしょう。
僕もまた大きな大きな輪の中にいて、
星屑ほどの幸運でおまえに出会ったんだということを、
うまく伝えてあげることができませんでした。おっきな宿題ね、これは(笑)

いつか父が、人は死んだら無になる、と言ったことを思い出します。
もし、あの世とか幽霊とかそういうものが実在するのだとしたら、
亡き母が夢にさえ出てこないのはまったくおかしいではないか。
人は死んだらのうなってしまうのだ。だからこそ、
「おまえとおれがおぼえているかぎり、その中で生きているんだろう」
いま、僕のお家のお墓では、母屋の長男と父が交代で、
花を一日も枯らすことなく供えつづけています。

僕が生まれた故郷に、十六日祭はありません。
それでも、砂浜にレイが流木で描く石垣島のかたちが、
日本の地図に見えた日でした。

十六日


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Posted by sumao at 10:08│Comments(2)島日記
この記事へのコメント
十六日祭 ←これは じゅうろくにちさい と 読むのだろうか?
素朴な疑問^^; 
沖縄には 内地にない いろいろな 行事 祭事  がある
このお金 売ってるのみたけど なにかの行事に使うんだろうなーと。。。
スーパーの店頭には 行事・祭事がある度に 
その時の売り出しモノが どっと並ぶ! 
店頭を見ているだけで フムフムと勉強になるのだ!
Posted by みっちゃん at 2007年03月06日 12:25
> みっちゃんさん
普通に読めばジュウルクニチなのでしょうけど、
ジュウロクニチで十分通ると思います。
今思ったのですが、もしかしたら、
内地ではなくなった、あるいは、見えにくくなったものが、
のこっているのかもしれませんね?
Posted by スマオ at 2007年03月06日 21:02
 
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